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【画像】閉店したデパートが学校に!店内の設備を有効利用した高校が開校 #デパート #高校
1:まとめらいぶ 2021/03/19(金) 20:55:52.98 ID:lMhvDCcS9
今月9日、バーモント州バーリントンで一風変わった開校祝いが行われた。
教育者と学生が集まった場所はなんと老舗デパートのメイシーズ。
実はこれ、建材の有害物質が原因で閉鎖になった高校校舎の代わりに、
経営不振の影響で閉店したデパートを有効活用しようというアイデアが実現したという。
■古い校舎から有害物質が検出され学校が閉鎖に
広々とした明るいフロアと吹き抜けの天井やエスカレーター、有名ブランドのテナント跡も
ちらほら残る「校舎」内には図書館や教室などもあり、新たな学校生活の準備が整いつつある。
バーモント州のバーリントン高校(略称:BHS)が以前の校舎を後にしたのは、
その建材から人体に有害になり得る物質が見つかったからだ。
それが公になったのは新型コロナのリモート期間から通常の授業を再開する直前で、
古い校舎の空間から有害な発がん性化学物質PCB(ポリ塩化ビフェニル)が見つかった
という報告から閉鎖が決定。
これにより生徒たちはリモート授業の延長を受け入れざるを得なかった。
■閉店したデパートを改修し仮の校舎に
この事態を重く見た地域の教育委員会は、生徒が対面授業を行える安全な
スペースの早急な確保を第一優先事項に掲げた。
そこで白羽の矢が立ったのが閉店したままのメイシーズの建物だった。
誰も使わないデパートを仮の校舎にすれば生徒の授業もすぐにできるというわけだ。
とはいえ学校として使うにはいくつかのリノベーションが必要だったため、
約350万ドル(約3.8億円)の費用がかかる改修工事を経たのち開校にこぎつけたという。
デパートから一転、校舎となった建物。その利用期間は今のところ最長3年が予定されている。
なお旧校舎に関しては化学物質の除去や建て替えなどが計画されてるもよう。
■毎日お買い物気分?デパート校舎の中身は?
現在「DOWNTOWNBHS」と改名された建物内は以下のようになっている。
デパートの一コマにしか見えないけど校舎か…
また有名デパートが校舎という前代未聞の状況はSNSでも反響を呼び、
生徒がこぞって写真をシェアしている。
(中略)
■今の校舎のほうが安全で心地いいという生徒も
では元デパートの校舎について生徒はどう思っているのだろう?
「正直言って前の校舎より今のほうが断然いい」というのは2年生のアリア・バトンだ。
この建物は見えない部分の安全や構造まで考えて設計されてて時間や手間も
たっぷりかけて作られたんだと思う。だから居心地いいよ
ローレン・マクブライド校長もインタビューに応じ「授業内容の理解も重要ですが、
教室には人と人とのつながりのヒントがあり、談話や会話も成長に役立ちます」と述べ、
その実現に尽くしてくれた地域の人やさまざまな役割を担った人に感謝を述べていた。
この件に関する海外の反応は…
・素晴らしいリサイクル方法だと思う。換気設備もちゃんとあるのに閉店や閉鎖で
放置のショッピングモールはそこら中にあるからこういうのとても良いわ。
・確かになかなか面白いね。旧校舎の清掃や立て直しよりも安上がりだったんじゃないかな
・カルバン・クラインの机がある高校なんてイヤだ
・他の店になるかと思ってたら違った
デパートを校舎にするとは思い切った発想だけど、新しく作るよりは手っ取り早いし安上がりで
一石二鳥かも。子どもの教育のために協力した人々も立派だし、リモートが長かった生徒も
教師も喜んでるみたいでなによりだ
【カラパイア】
https://karapaia.com/archives/52300261.html
教育者と学生が集まった場所はなんと老舗デパートのメイシーズ。
実はこれ、建材の有害物質が原因で閉鎖になった高校校舎の代わりに、
経営不振の影響で閉店したデパートを有効活用しようというアイデアが実現したという。
■古い校舎から有害物質が検出され学校が閉鎖に
広々とした明るいフロアと吹き抜けの天井やエスカレーター、有名ブランドのテナント跡も
ちらほら残る「校舎」内には図書館や教室などもあり、新たな学校生活の準備が整いつつある。
バーモント州のバーリントン高校(略称:BHS)が以前の校舎を後にしたのは、
その建材から人体に有害になり得る物質が見つかったからだ。
それが公になったのは新型コロナのリモート期間から通常の授業を再開する直前で、
古い校舎の空間から有害な発がん性化学物質PCB(ポリ塩化ビフェニル)が見つかった
という報告から閉鎖が決定。
これにより生徒たちはリモート授業の延長を受け入れざるを得なかった。
■閉店したデパートを改修し仮の校舎に
この事態を重く見た地域の教育委員会は、生徒が対面授業を行える安全な
スペースの早急な確保を第一優先事項に掲げた。
そこで白羽の矢が立ったのが閉店したままのメイシーズの建物だった。
誰も使わないデパートを仮の校舎にすれば生徒の授業もすぐにできるというわけだ。
とはいえ学校として使うにはいくつかのリノベーションが必要だったため、
約350万ドル(約3.8億円)の費用がかかる改修工事を経たのち開校にこぎつけたという。
デパートから一転、校舎となった建物。その利用期間は今のところ最長3年が予定されている。
なお旧校舎に関しては化学物質の除去や建て替えなどが計画されてるもよう。
■毎日お買い物気分?デパート校舎の中身は?
現在「DOWNTOWNBHS」と改名された建物内は以下のようになっている。
デパートの一コマにしか見えないけど校舎か…
また有名デパートが校舎という前代未聞の状況はSNSでも反響を呼び、
生徒がこぞって写真をシェアしている。
(中略)
■今の校舎のほうが安全で心地いいという生徒も
では元デパートの校舎について生徒はどう思っているのだろう?
「正直言って前の校舎より今のほうが断然いい」というのは2年生のアリア・バトンだ。
この建物は見えない部分の安全や構造まで考えて設計されてて時間や手間も
たっぷりかけて作られたんだと思う。だから居心地いいよ
ローレン・マクブライド校長もインタビューに応じ「授業内容の理解も重要ですが、
教室には人と人とのつながりのヒントがあり、談話や会話も成長に役立ちます」と述べ、
その実現に尽くしてくれた地域の人やさまざまな役割を担った人に感謝を述べていた。
この件に関する海外の反応は…
・素晴らしいリサイクル方法だと思う。換気設備もちゃんとあるのに閉店や閉鎖で
放置のショッピングモールはそこら中にあるからこういうのとても良いわ。
・確かになかなか面白いね。旧校舎の清掃や立て直しよりも安上がりだったんじゃないかな
・カルバン・クラインの机がある高校なんてイヤだ
・他の店になるかと思ってたら違った
デパートを校舎にするとは思い切った発想だけど、新しく作るよりは手っ取り早いし安上がりで
一石二鳥かも。子どもの教育のために協力した人々も立派だし、リモートが長かった生徒も
教師も喜んでるみたいでなによりだ
【カラパイア】
https://karapaia.com/archives/52300261.html
引用元: 【裏山】閉店したデパートが学校に!店内の設備を有効利用した高校が開校(画像あり)(動画あり)
(C)2015 - 2021 まとめらいぶ
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【滋賀】『平和堂近江八幡店』国鉄型ずらり!さらば『日本一』鉄道レイアウト、来月閉店。
1:まとめらいぶ:2016/09/27(火) 12:19:23.41ID:CAP_USER.net
滋賀県近江八幡市鷹飼町の平和堂近江八幡店に、かつて「日本一」とうたわれた
巨大な鉄道模型がある。中央に琵琶湖を配し滋賀県を模したレイアウトに国鉄
時代の懐かしい車両が並ぶ姿は広く愛されてきた。同店は10月16日の閉店
が決まっていて、幼少の頃から親しんだ買い物客が別れを惜しんでいる。
同店は1972年にオープンし、同社内で売り上げ首位の時期もあった主力
店舗だった。近隣へのダイエー出店を受けて87年に新装開店した際、当時
の夏原平次郎社長の発案で鉄道模型「交通パノラマ館」が
5階のレストラン街(当時)に設置された。
115平方メートルに総延長約400メートルの線路が走り、
案内板には「日本一のスケール」と記されている。
「HOゲージ」という一般的な鉄道模型より一回り大きい規格で、
0系新幹線やブルートレインなど懐かしい車両約200両が並び、
一部は有料で動かすことができた。近江八幡駅や米原駅など
県内の主要な駅のほか、びわ湖タワー展望台も見える。
制作したカツミ模型(東京都目黒区)によると、スーパーからの注文は珍しく、
設置当時は琵琶湖の部分に本物の水を張る斬新な構造だった。
鉄道ライターの辻良樹さん(49)=東近江市佐野町=は
「当時は京都や大阪にもこんな豪華なものはなく、近江八幡が都会になった
ように感じた。採算を考えたらとてもつくれないはずで、
景気の良かった時代の象徴ではないか」と話す。
別れを惜しみ、家族で見物に訪れていた野洲市冨波乙の会社員松岡紘司さん(37)は
「子どもの頃は電車でこの店に買い物に来て、鉄道模型を見るのが一大イベントだった」
と振り返り「なんとか模型だけでも残してもらいたい」と願う。
平和堂によると、店舗は解体され跡地にはマンションが建つ予定で、
鉄道模型は売却を検討している。
写真:琵琶湖を中央に配し、滋賀県を模した
鉄道模型のジオラマ。手前に見えるのは近江八幡駅
写真:かつて滋賀県内で見られた車両を中心に、国鉄時代の車両が並ぶ
【京都新聞】
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160927000021
巨大な鉄道模型がある。中央に琵琶湖を配し滋賀県を模したレイアウトに国鉄
時代の懐かしい車両が並ぶ姿は広く愛されてきた。同店は10月16日の閉店
が決まっていて、幼少の頃から親しんだ買い物客が別れを惜しんでいる。
同店は1972年にオープンし、同社内で売り上げ首位の時期もあった主力
店舗だった。近隣へのダイエー出店を受けて87年に新装開店した際、当時
の夏原平次郎社長の発案で鉄道模型「交通パノラマ館」が
5階のレストラン街(当時)に設置された。
115平方メートルに総延長約400メートルの線路が走り、
案内板には「日本一のスケール」と記されている。
「HOゲージ」という一般的な鉄道模型より一回り大きい規格で、
0系新幹線やブルートレインなど懐かしい車両約200両が並び、
一部は有料で動かすことができた。近江八幡駅や米原駅など
県内の主要な駅のほか、びわ湖タワー展望台も見える。
制作したカツミ模型(東京都目黒区)によると、スーパーからの注文は珍しく、
設置当時は琵琶湖の部分に本物の水を張る斬新な構造だった。
鉄道ライターの辻良樹さん(49)=東近江市佐野町=は
「当時は京都や大阪にもこんな豪華なものはなく、近江八幡が都会になった
ように感じた。採算を考えたらとてもつくれないはずで、
景気の良かった時代の象徴ではないか」と話す。
別れを惜しみ、家族で見物に訪れていた野洲市冨波乙の会社員松岡紘司さん(37)は
「子どもの頃は電車でこの店に買い物に来て、鉄道模型を見るのが一大イベントだった」
と振り返り「なんとか模型だけでも残してもらいたい」と願う。
平和堂によると、店舗は解体され跡地にはマンションが建つ予定で、
鉄道模型は売却を検討している。
写真:琵琶湖を中央に配し、滋賀県を模した
鉄道模型のジオラマ。手前に見えるのは近江八幡駅
写真:かつて滋賀県内で見られた車両を中心に、国鉄時代の車両が並ぶ
【京都新聞】
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160927000021
【喫茶店】コメダ珈琲1号店、ひっそりと閉店…グループ拡大、創業の地に何が起きた。
1:まとめらいぶ:2016/07/08(金) 10:58:37.27ID:CAP_USER.net
【withnews】
東証1部へ上場したコメダホールディングスが展開するコメダ珈琲店。
その1号店が閉店したと聞いた。毎年50~70店のハイペースで出店攻勢をかける中、
発祥の店はなぜ消えたのか。
( 朝日新聞名古屋報道センター記者 ・ 斎藤健一郎 )
痕跡は何もない
昭和の風情ただよう円頓寺商店街の近く。名古屋市西区那古野2丁目で、
コメダは1968年に創業した。いま、店があった場所には新しい5階建ての
マンションが立っていた。有名チェーンがこの地で第一歩を
踏み出したことを示す痕跡は何もない。
近所の年配男性が教えてくれた。「ビルが老朽化したもんで、取り壊してそのまま
閉店だよ。繁盛はしてた。うん、経営は良かったと思うよ」。ご近所さんが自転車で
立ち寄るような小さな喫茶店で、木製のドアを開けると
店内は10卓ほどの空間だったという。
老朽化「やむなく」閉店
コメダによると、1号店は菊井店といい、創業者で元会長の加藤太郎氏が
48年前に開いた。家業が米屋だったことから店名を「コメダ」とした。
コメダといえば、戸建ての店舗が特徴だが、1号店はビルの一角を間借りしていた。
そのビルが建設から半世紀近くたって老朽化した。地主の意向もあってマンションへの
建て替えが決まり、2014年3月末に「やむなく」閉店したという。
1号店があった場所の2軒隣で医院を経営する後藤正己さん(65)は推測する。
「駐車場がない小さな店は、大きくなったグループのコンセプトからは外れたんでしょう。
この辺りの商店も軒並み店を閉めました」
古くからの住民は高齢者ばかりになったという。
「時代はどんどん変わる」
服部金江さん(64)の家は父親の代から、1号店の向かいですし屋を営んでいた。
「バブルの時は、近くの会社の営業部長が朝から来て、
一日中接待で飲んでいたもんですよ」と懐かしむ。
夫が他界し、弟子を多く抱えた店を
12年ほど前にたたんだ。今は子や孫と暮らしている。
コメダ1号店開店の日には、母の春子さんが加藤氏を手伝い、
一緒に花配りをしたという。その母も2年前に91歳で亡くなった。
経済成長を追い求める社会で、街の盛衰を見てきた服部さん。
「時代はどんどん変わる。私たちの時代は良かったけれど、
子どもや孫が将来どうなるか。そればかりが心配です」。
東証1部へ上場したコメダホールディングスが展開するコメダ珈琲店。
その1号店が閉店したと聞いた。毎年50~70店のハイペースで出店攻勢をかける中、
発祥の店はなぜ消えたのか。
( 朝日新聞名古屋報道センター記者 ・ 斎藤健一郎 )
痕跡は何もない
昭和の風情ただよう円頓寺商店街の近く。名古屋市西区那古野2丁目で、
コメダは1968年に創業した。いま、店があった場所には新しい5階建ての
マンションが立っていた。有名チェーンがこの地で第一歩を
踏み出したことを示す痕跡は何もない。
近所の年配男性が教えてくれた。「ビルが老朽化したもんで、取り壊してそのまま
閉店だよ。繁盛はしてた。うん、経営は良かったと思うよ」。ご近所さんが自転車で
立ち寄るような小さな喫茶店で、木製のドアを開けると
店内は10卓ほどの空間だったという。
老朽化「やむなく」閉店
コメダによると、1号店は菊井店といい、創業者で元会長の加藤太郎氏が
48年前に開いた。家業が米屋だったことから店名を「コメダ」とした。
コメダといえば、戸建ての店舗が特徴だが、1号店はビルの一角を間借りしていた。
そのビルが建設から半世紀近くたって老朽化した。地主の意向もあってマンションへの
建て替えが決まり、2014年3月末に「やむなく」閉店したという。
1号店があった場所の2軒隣で医院を経営する後藤正己さん(65)は推測する。
「駐車場がない小さな店は、大きくなったグループのコンセプトからは外れたんでしょう。
この辺りの商店も軒並み店を閉めました」
古くからの住民は高齢者ばかりになったという。
「時代はどんどん変わる」
服部金江さん(64)の家は父親の代から、1号店の向かいですし屋を営んでいた。
「バブルの時は、近くの会社の営業部長が朝から来て、
一日中接待で飲んでいたもんですよ」と懐かしむ。
夫が他界し、弟子を多く抱えた店を
12年ほど前にたたんだ。今は子や孫と暮らしている。
コメダ1号店開店の日には、母の春子さんが加藤氏を手伝い、
一緒に花配りをしたという。その母も2年前に91歳で亡くなった。
経済成長を追い求める社会で、街の盛衰を見てきた服部さん。
「時代はどんどん変わる。私たちの時代は良かったけれど、
子どもや孫が将来どうなるか。そればかりが心配です」。