1:まとめらいぶ:2017/11/16(木) 12:01:13.37ID:CAP_USER.net
武骨で黒光りするデザインの「G-SHOCK(ショック)」といえば、老若男女に
愛用されるカジュアル腕時計。「タフネス(頑丈)」という腕時計の新たな立ち位置
を切り開き、発売35周年の平成30年を前にした今年、世界出荷個数が累計1億個
を突破した。そんなGショックは今、ブームに沸いた1990年代を上回る売れ行き
だという。もはやブームの再来といっていい。カシオ計算機(東京)の看板商品は一
体どんな軌跡を歩んできたのか…。
Gショックの販売開始は昭和58年。当時の開発担当者が「落としても壊れない腕時
計」を作ろうと一念発起。ウレタンなどでデリケートな時計部分をくるんだ試作機で
試行錯誤繰り返した。実験はいたって原始的で、3階のトイレの窓から地面に投げ落
とし、「割れ」がないか点検する、そしてまた投げる-というものだった。
開発に2年の歳月を費やし、ゴミ箱に捨てた試作機は200個以上。ようやく完成
した「タフネスウオッチ」はウレタンで全面を覆いながら時計の心臓部を「点」で支
える中空構造を採用した。「宝飾品の一部で、衝撃に弱く壊れやすかった腕時計の常
識を覆した」。開発当初からGショックに携わってきた増田裕一取締役専務執行役員
はそう振り返る。
もっとも、案外知られていないのは、日本よりも先に米国でヒットしたことだ。
「壊れない腕時計」を売り込もうとアイスホッケー選手がパック代わりにGショック
をぶっ飛ばすテレビCMを米国で放映したところ、「誇大広告ではないのか」といぶ
かしがる声が出るほど話題が沸騰。アウトドア愛好家らを中心に人気が出て一躍人気
ブランドにのし上がった。
日本でヒットしたのは1990年代に入ってからだ。Gショックがその一部に取り
込まれたストリート・ファッションが米国で流行。それが日本にも紹介されるとGシ
ョックも“逆輸入”の形で入り込み、日本の若者に浸透していったというわけだ。
「スノーボードやサーフィン、ダンスなど若者文化の最前線に欠かせない象徴に成
長し、90年代に空前のGショック・ブームが到来。平成9年度の世界出荷個数が6
00万個と頂点に達した」(広報)という。丸いデザインやかわいらしさを打ち出し
た女性向けの「ベイビーG」も大ヒットした。
現在、Gショックはデジタル・アナログ双方を展開するが、もともとは文字盤に数
字が並ぶデジタルが大半だった。「アナログに比べて格が下にみられがちなデジタル
を一躍腕時計の立役者に変えたのがGショック」といわれるほどだ。デジタル一辺倒
からの方針転換のきっかけは販売低迷だ。9年以降、ブームの反動で出荷個数が坂道
を転げ落ちるように減少。しばらくの間、ブーム前の水準に落ち込んだため、「経営
に打撃を与えたほどだった」(増田取締役)。
そこで、固定ファンがいるアナログ版Gショックに活路を見いだした。加えて電波
ソーラー機能搭載機、大人向けデザインの「MRG」など矢継ぎ早の新機種を投入。
海外需要にも支えられて、「16年以降の高機能アナログ戦略で息を吹き返した」
(広報)。
初号機以来これまでに約3200モデルが誕生。今春には、標準電波とGPS衛星
電波の受信、さらにスマートフォンを介してインターネット上の時刻配信サーバーに
接続し、全世界で常に正しい時刻を表示する「コネクティッドエンジン3-ウェイ」
搭載機の登場など、ハイテクGショックも出現している。機能の追加やデザインの改
良などを絶えず続けてきた結果、Gショック人気は再燃している。
28年度は90年代のブームをしのぐ過去最高の850万個を出荷。29年度も引
き続き好調で、出荷個数は900万個を見込む。「ブーム第2波の到来」といわれ、
記録更新に期待がかかる。
街の時計屋さんはGショックをどう見ているか。腕時計や宝飾品を扱う「オオミヤ
」和歌山本店の出水伸幸店長は「舶来品に加えGショックの取り扱いでラインアップ
に幅が出る。この10年、Gショックの売り上げは右肩上がりだ」と話す。専門家に
も話を聞いた。時計専門誌『クロノス日本版』の広田雅将編集長は「世界の腕時計市
場で価格が500ドル(5万円台半ば)以下の入門クラスはスイス勢も認知度がまだ
まだで、Gショックが有力な選択肢の一つとなっている」と、現在はライバルが不在
だと指摘した。
【Yahoo! ニュース】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171116-00000500-san-bus_all
愛用されるカジュアル腕時計。「タフネス(頑丈)」という腕時計の新たな立ち位置
を切り開き、発売35周年の平成30年を前にした今年、世界出荷個数が累計1億個
を突破した。そんなGショックは今、ブームに沸いた1990年代を上回る売れ行き
だという。もはやブームの再来といっていい。カシオ計算機(東京)の看板商品は一
体どんな軌跡を歩んできたのか…。
Gショックの販売開始は昭和58年。当時の開発担当者が「落としても壊れない腕時
計」を作ろうと一念発起。ウレタンなどでデリケートな時計部分をくるんだ試作機で
試行錯誤繰り返した。実験はいたって原始的で、3階のトイレの窓から地面に投げ落
とし、「割れ」がないか点検する、そしてまた投げる-というものだった。
開発に2年の歳月を費やし、ゴミ箱に捨てた試作機は200個以上。ようやく完成
した「タフネスウオッチ」はウレタンで全面を覆いながら時計の心臓部を「点」で支
える中空構造を採用した。「宝飾品の一部で、衝撃に弱く壊れやすかった腕時計の常
識を覆した」。開発当初からGショックに携わってきた増田裕一取締役専務執行役員
はそう振り返る。
もっとも、案外知られていないのは、日本よりも先に米国でヒットしたことだ。
「壊れない腕時計」を売り込もうとアイスホッケー選手がパック代わりにGショック
をぶっ飛ばすテレビCMを米国で放映したところ、「誇大広告ではないのか」といぶ
かしがる声が出るほど話題が沸騰。アウトドア愛好家らを中心に人気が出て一躍人気
ブランドにのし上がった。
日本でヒットしたのは1990年代に入ってからだ。Gショックがその一部に取り
込まれたストリート・ファッションが米国で流行。それが日本にも紹介されるとGシ
ョックも“逆輸入”の形で入り込み、日本の若者に浸透していったというわけだ。
「スノーボードやサーフィン、ダンスなど若者文化の最前線に欠かせない象徴に成
長し、90年代に空前のGショック・ブームが到来。平成9年度の世界出荷個数が6
00万個と頂点に達した」(広報)という。丸いデザインやかわいらしさを打ち出し
た女性向けの「ベイビーG」も大ヒットした。
現在、Gショックはデジタル・アナログ双方を展開するが、もともとは文字盤に数
字が並ぶデジタルが大半だった。「アナログに比べて格が下にみられがちなデジタル
を一躍腕時計の立役者に変えたのがGショック」といわれるほどだ。デジタル一辺倒
からの方針転換のきっかけは販売低迷だ。9年以降、ブームの反動で出荷個数が坂道
を転げ落ちるように減少。しばらくの間、ブーム前の水準に落ち込んだため、「経営
に打撃を与えたほどだった」(増田取締役)。
そこで、固定ファンがいるアナログ版Gショックに活路を見いだした。加えて電波
ソーラー機能搭載機、大人向けデザインの「MRG」など矢継ぎ早の新機種を投入。
海外需要にも支えられて、「16年以降の高機能アナログ戦略で息を吹き返した」
(広報)。
初号機以来これまでに約3200モデルが誕生。今春には、標準電波とGPS衛星
電波の受信、さらにスマートフォンを介してインターネット上の時刻配信サーバーに
接続し、全世界で常に正しい時刻を表示する「コネクティッドエンジン3-ウェイ」
搭載機の登場など、ハイテクGショックも出現している。機能の追加やデザインの改
良などを絶えず続けてきた結果、Gショック人気は再燃している。
28年度は90年代のブームをしのぐ過去最高の850万個を出荷。29年度も引
き続き好調で、出荷個数は900万個を見込む。「ブーム第2波の到来」といわれ、
記録更新に期待がかかる。
街の時計屋さんはGショックをどう見ているか。腕時計や宝飾品を扱う「オオミヤ
」和歌山本店の出水伸幸店長は「舶来品に加えGショックの取り扱いでラインアップ
に幅が出る。この10年、Gショックの売り上げは右肩上がりだ」と話す。専門家に
も話を聞いた。時計専門誌『クロノス日本版』の広田雅将編集長は「世界の腕時計市
場で価格が500ドル(5万円台半ば)以下の入門クラスはスイス勢も認知度がまだ
まだで、Gショックが有力な選択肢の一つとなっている」と、現在はライバルが不在
だと指摘した。
【Yahoo! ニュース】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171116-00000500-san-bus_all