1:まとめらいぶ:2016/07/08(金) 10:58:37.27ID:CAP_USER.net
【withnews】
東証1部へ上場したコメダホールディングスが展開するコメダ珈琲店。
その1号店が閉店したと聞いた。毎年50~70店のハイペースで出店攻勢をかける中、
発祥の店はなぜ消えたのか。
( 朝日新聞名古屋報道センター記者 ・ 斎藤健一郎 )
痕跡は何もない
昭和の風情ただよう円頓寺商店街の近く。名古屋市西区那古野2丁目で、
コメダは1968年に創業した。いま、店があった場所には新しい5階建ての
マンションが立っていた。有名チェーンがこの地で第一歩を
踏み出したことを示す痕跡は何もない。
近所の年配男性が教えてくれた。「ビルが老朽化したもんで、取り壊してそのまま
閉店だよ。繁盛はしてた。うん、経営は良かったと思うよ」。ご近所さんが自転車で
立ち寄るような小さな喫茶店で、木製のドアを開けると
店内は10卓ほどの空間だったという。
老朽化「やむなく」閉店
コメダによると、1号店は菊井店といい、創業者で元会長の加藤太郎氏が
48年前に開いた。家業が米屋だったことから店名を「コメダ」とした。
コメダといえば、戸建ての店舗が特徴だが、1号店はビルの一角を間借りしていた。
そのビルが建設から半世紀近くたって老朽化した。地主の意向もあってマンションへの
建て替えが決まり、2014年3月末に「やむなく」閉店したという。
1号店があった場所の2軒隣で医院を経営する後藤正己さん(65)は推測する。
「駐車場がない小さな店は、大きくなったグループのコンセプトからは外れたんでしょう。
この辺りの商店も軒並み店を閉めました」
古くからの住民は高齢者ばかりになったという。
「時代はどんどん変わる」
服部金江さん(64)の家は父親の代から、1号店の向かいですし屋を営んでいた。
「バブルの時は、近くの会社の営業部長が朝から来て、
一日中接待で飲んでいたもんですよ」と懐かしむ。
夫が他界し、弟子を多く抱えた店を
12年ほど前にたたんだ。今は子や孫と暮らしている。
コメダ1号店開店の日には、母の春子さんが加藤氏を手伝い、
一緒に花配りをしたという。その母も2年前に91歳で亡くなった。
経済成長を追い求める社会で、街の盛衰を見てきた服部さん。
「時代はどんどん変わる。私たちの時代は良かったけれど、
子どもや孫が将来どうなるか。そればかりが心配です」。
東証1部へ上場したコメダホールディングスが展開するコメダ珈琲店。
その1号店が閉店したと聞いた。毎年50~70店のハイペースで出店攻勢をかける中、
発祥の店はなぜ消えたのか。
( 朝日新聞名古屋報道センター記者 ・ 斎藤健一郎 )
痕跡は何もない
昭和の風情ただよう円頓寺商店街の近く。名古屋市西区那古野2丁目で、
コメダは1968年に創業した。いま、店があった場所には新しい5階建ての
マンションが立っていた。有名チェーンがこの地で第一歩を
踏み出したことを示す痕跡は何もない。
近所の年配男性が教えてくれた。「ビルが老朽化したもんで、取り壊してそのまま
閉店だよ。繁盛はしてた。うん、経営は良かったと思うよ」。ご近所さんが自転車で
立ち寄るような小さな喫茶店で、木製のドアを開けると
店内は10卓ほどの空間だったという。
老朽化「やむなく」閉店
コメダによると、1号店は菊井店といい、創業者で元会長の加藤太郎氏が
48年前に開いた。家業が米屋だったことから店名を「コメダ」とした。
コメダといえば、戸建ての店舗が特徴だが、1号店はビルの一角を間借りしていた。
そのビルが建設から半世紀近くたって老朽化した。地主の意向もあってマンションへの
建て替えが決まり、2014年3月末に「やむなく」閉店したという。
1号店があった場所の2軒隣で医院を経営する後藤正己さん(65)は推測する。
「駐車場がない小さな店は、大きくなったグループのコンセプトからは外れたんでしょう。
この辺りの商店も軒並み店を閉めました」
古くからの住民は高齢者ばかりになったという。
「時代はどんどん変わる」
服部金江さん(64)の家は父親の代から、1号店の向かいですし屋を営んでいた。
「バブルの時は、近くの会社の営業部長が朝から来て、
一日中接待で飲んでいたもんですよ」と懐かしむ。
夫が他界し、弟子を多く抱えた店を
12年ほど前にたたんだ。今は子や孫と暮らしている。
コメダ1号店開店の日には、母の春子さんが加藤氏を手伝い、
一緒に花配りをしたという。その母も2年前に91歳で亡くなった。
経済成長を追い求める社会で、街の盛衰を見てきた服部さん。
「時代はどんどん変わる。私たちの時代は良かったけれど、
子どもや孫が将来どうなるか。そればかりが心配です」。